美人を目指す毛穴ブロガー櫻田こずえです、皆さまごきげんよう!
先日頂いたメッセージが、とても心に響いたので、ここでお返事させてください。
頂いたメールアドレスが存在しないようなのですが、もしこの記事を読まれて、感じられることがあったら、ご連絡頂ければと思います。もちろんお返事を強要するものではありません。
なお、メッセージについては、「必要と感じたものについては、基本的にはブログの中でお返事させて頂きます。頂いた内容はブログ等で引用させて頂くこと、ご了承下さい。」とさせて頂いていること、念のため記しておきます。
また、本日は自分のことをブスブスと連呼していますが、今はそう書いても胸が痛くないし、今回はそう書かないと伝わらないかなと思って書いてます。それで読んでくださるどなたかを不快にしてしまったら、ごめんなさい。
では、メッセージのご紹介と櫻田のお返事を書きますね。
>ルッキズムにとらわれてて気持ち悪い。
冒頭頂いた言葉を櫻田は存じ上げませんでした。
ルッキズム(英: Lookism)とは、身体的に魅力的でないと考えられる人々に対する差別的取り扱いのことをさす。Wikipedia:ルッキズムより
ご指摘の通り、櫻田はその「ルッキズム」というものにとらわれているなって思いました。
>美人を目指す、って、美人になったらどうなるの? なにが変わるの?
このWikiのページにも書いてあるけれど、身体的に魅力的になれば、経済的に、そして恋愛におけるメリットは増えるけれど、主観的な幸福度は変わらないそうです。
もし美人になったとして、何が変わるんだろう・・・考え込んでしまいました。
今の櫻田にはその答えが明確になく、このブログを始めた頃に戻って考えてみました。自分語りをお許しください。
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「美人を目指す!」と言い始めたのは、すごい決心でした、自分では。
だって、櫻田はブスだもの、美人になれる訳がない。
そして、目指してしまったら最後、もしかしたら自分がダイヤの原石で、磨いてないだけかもしれないっていう微かな微かな望みが、その可能性の中に生きることが、できなくなってブスが確定してしまう・・。
原体験は、小学生の時クラスの男子に、ものすごい至近距離から「ブース、ブース、ブース・・・」って、何度も言われて、まだ「ブス」というのが何なのかよく分からないけれど、少しずつクラスの「可愛い子・美人な子・そうでない子」の「そうでない子」であるな、というのは分かってきていた頃、それが決定的になった経験です。
子供ながらに、深く、深く、深く傷ついたけれど、それは親にも、友達にも、誰にも言えなかった。悲しくて、恥ずかしくて、情けなくて、辛くて、誰にも言えなかった。
それ以来、自分はできるだけ「美人かどうか」で判断されないよう、される対象にならないように生きて来たと思います。
周囲の笑いを必死で取るコメディアンになり、必死で勉強したり、運動頑張ったり、「美人かどうか」以外の物差しでできるだけたくさん良い点を取って、隠そうとしてたんじゃないかなと思います。
また、男子と対等に渡り合おうとしてみたり、男子とは友達としてつるむようにしたり「女子的な視線の対象」にならないようにしていました。
ブスって言われれば、ああ世界一ブスですけど何か?みたいなこと言って爆笑して、一緒になってあのクラスの誰それは可愛いとか言って盛り上がって・・・そのルッキズムという価値観を、他者にも自分にも失礼な態度を、10代で強化していたのだと思います。
10代の終わりにには「みんなが自分の顔を見て笑ってる」と、度々電車を降りるような状態になったり、社会人になってからも、マスクをしないと会社に行けない時期があったり、見た目に囚われて、過剰に気にして来ました。
>自分のニーズより、他者からどう見られるか、そんなことしか考えてない、私の大嫌いな人種。
>自分に集中してなくて、他者からどう見られるか、それしか頭にないから、「美人を目指す」とか言っちゃう。
ご指摘の通りです。
自分の外見がダメだってことが不安で、他者からどう見られるかばかり気にして、自分に集中していなくて、本当にそれしか頭にない、なかったのです。
どうしても自分の外見が受け入れられなかった。
いつからか、なるべくおしゃれをせず、髪型も適当、化粧もアトピーを言い訳にあまりせず、生活するようになりました。おしゃれは美人じゃないとしちゃいけないものだと思っていました。
だって、おしゃれをして、髪型も美しくキメて、化粧もして、それでも周りから「ブス」って判定されたら、自分でも自信が持てなかったら、困るから・・・。
私はまだ本気出してないから、ブスでもしょうがない。本気出せばもしかしたらキレイかもしれない、その可能性の中に生きていたい・・・多分、どんなに頑張ったってブスはブスだってことがウスウス分かっていたから・・・。
いろんなところでよく聞く話しですよね・・・ダイエットできない女性の心理とか、女性にアプローチできない男性の心理とかで・・・まだ本気出してないだけ、傷つくのが怖いから、努力もしたくないし、何かに囚われ、自分と向き合う勇気がないから、可能性の中に生きていたい。
でも、そんな自分と決別したくて「美人になりたい!」って宣言して、このブログを始めました。
人の顔形は変えられないので、外見は変わっていませんが、美人になりたい!って言葉に出して言えるようになったことは、自分にとっては大きな一歩でした。
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コンプレックスはまず、そのコンプレックスが自分に存在することを、認めることから始まると思います。
そして、コンプレックスや囚われを解消するには、その対象をダイレクトに解決しようとしてもダメで、気持ちの持ち方を変えないと永遠に抜け出せない。例えば櫻田が整形して客観的に美人になっても、コンプレックスからは結局は抜け出せないと思います。
でも、ダイレクトに、愚直に「美人」を目指していたら、櫻田の心のあり方も少しずつ変わって来ました。
読者の方など、美しい女性、美しさを追求する女性(今まで避けていた・・)に囲まれて、話をして、おしゃれを教わって、化粧も教わって、「女性としての美しさ」的なものからどうにか逃げようと思っていた自分は変わりました。
こういう世界は悪いものだ、怖いものだと思っていたけれど、そうでもないかも?って思えて来たんです。「おしゃれ」も楽しくなって来た。自分も楽しんでいいんだって思えるようになって来た。
ルッキズムから自分を解放するのは、それを否定するのではなく、自分の中にそういうものがあることを認めて、受け入れること、和解する、楽しむ、そういうプロセスなんじゃないかと、櫻田は思っています。
だから、美人になったら何かが変わる、ではなくて、プロセスにおける気持ちの変化に意味があった、後付けですが、そう思っています。
>見た目や持ち物ではなく、内面や人格が大事なのに、見た目でしか判断できないの、気持ち悪い。
内面や人格が大事、というご指摘は尤もだと思います。そこがしっかりしていれば、そもそもルッキズムに囚われることも、そこから脱出すべく試行錯誤することすら必要ないですもんね。
そして、櫻田のこのブログは、どういうものを持って、どういう服を着れば美人に見えるか・・・見た目でしか判断できない人のブログになっていましたね。
単に「女性としての美しさ」を求めるだけでなく、自分が納得するような生き方を追求していくと、確実に女性は美しくなる。
「美の宿るところ」藤原美智子★後編:自分が納得する生き方・装い方
本当にご指摘の通り、外見を含む自分の全てに自信がないことが、ルッキズムに囚われる根本原因だと思います・・・自分が納得するような生き方が定まっていないのです。
そういうベースをしっかり持った上で、自分の美の追求ができるように・・・言葉で言うのは簡単ですが、そう思いました。
>そんな不健全な価値観を撒き散らさないでほしい。
毛穴ブログも、このブログも、自分と同じように、コンプレックスを持つ女性に何か伝わればいいなと思っていたけれど、この美人ブログでは、最近はそういう気持ちも忘れていて、ただただ、素敵だと思われたい、かっこいいと思われたい、いいねされたい・・・そんな気持ちに囚われていたのを、見透かされているなと思いました。
メッセージを下さってありがとうございました。
>立場や肩書きや見た目にしか目がいかないやつら、ー中略ー
>その考えを変えられないなら、生きてても良い影響はないから、消えて欲しい。
>私の視界に、そういう他律的な奴らは要らない。消えて欲しい。
#少し過激な表現等あったので控えさせて頂きました
お返事を書くことは、あなたにとってさらに目障りかもしれないと思ったのですが、でも、何か、心の叫びというか、何か、本当に勘違いだったらごめんなさい、何か感じるものがあったので、少しお話をさせて頂きました。
私は、あなたが教えてくださった「ルッキズム」から、抜け出したいと願っていて、その一歩がこのブログなんです。本気でそうなんです。
でも、思っていながらもまだ抜け出せなくて、本来自分が目指していたことを見失いそうになっていて、そして、このメッセージで、改めて「本当に大切なこと」に気づかせて頂いて、深く感じるものがありました。
明日からも、こんな服着たとか買ったとか、こういうポーズや髪型の方が美人に見える気がする、とか、そんないつもの記事が続いていくと思います。
でも、あなたが教えてくださったことはいつも忘れず心に留めて、自分と向き合って行く中で、少しずつ変わっていく・・・それも含めて表現していければと思っています。
たくさんの気づきを頂きました、ありがとうございました!