2014年は「分相応」という言葉についていろいろと考えさせられた年でした。
2014.09.28
分相応・分不相応について考えてみた
2014年最後に出会ったこの本の一節に、考えるヒントを頂きました。
貧しいお侍さんが、上等な刀の鍔を拾って使い始める。すると、鍔が立派だから刀がみすぼらしく見える。そこで、なんとか刀を上等なものに買い替える。刀が上等になると、今度は着物がみすぼらしく見えて、いい着物を買う。そうやってどんどん次から次へと求めていく。「足りないもの」がどんどん大きくなって最後に破産をして不幸になる。
本全体の櫻田のレビュー
自分の「ものさし」で生きなさい
普通のOLが、奮発してセルジオロッシのハイヒールを買った。
すると、靴が立派だから、洋服がみすぼらしく見える。
そこで、なんとか洋服を上等なものに買い替える・・・
今、櫻田はロレックスを40歳記念に買おうかと思っているのだけれど、
それが、分不相応なのか相応なのか、分からなくて悩んでいる。
いや、正しいのか正しくないのか、分からなくなってきている、
と言ったほうが、今の悩みを表現するのにしっくり来る気がする。
なんだか、他人のものさしで測ろうとしてるんだよな、ワタシ。
普通のOLが、奮発してセルジオロッシのハイヒールを買った。
すると、美しいもののパワーに気づき、厳選して洋服を買うようになり、
メンテナンスを学び、そのハイヒールに相応しい女性を目指すようになった。
自分のストーリーで、自分の選択に責任を持って、
自分の力で買って、責任を持って身につければいいじゃない。
それを買うか買わないかの判断を、
「一般的に分相応か不相応なのか」という実在しないものに委ねて、
自分でその判断に責任を持つことから逃げていた気がする。
そうだ、自分のものさしを、磨き、信じよう。
自分の選択に、自分自身に責任を持とう。
★
昨年は、何でも分相応・不相応っていう意識があって、
背伸びするのは止めた方がいいかもって、考えていた。
でも、手の届く価格帯のもので手を打つのは、意外とラクなんだよね。
ま、いっか、って買えちゃうし。本当にそれが必要か、考える必要がない。
背伸びしなきゃいけないものは、相応の覚悟が必要だし、
他のものが買えなくなるという犠牲も生じる。
今までのものとちょっと違うから、ワードローブとの相性も難しいかもしれない。
着ることにもパワーがいる。すっごい、ものすっごい厳選する。
そして、買った時、身につける度に、ワクワクするものになる。
また、価格だけじゃない。
馴染みの、一般的なブランドの物だと安心するけど。
そうじゃないものを買うのって、それも勇気がいったりする。
自分のなかに欲が出て、分不相応なことを求める気持ちが出て来ると、この話を思い出す。
でも、それでも、このお侍さんのお話は心に留めておきたい。
人はある程度は「タガ」をはめた方がいいこともあると思う。
ただ求めるままというのではなく、櫻田こずえという人のライフスタイルとして、
バランス良く、しっくりくるものを選び続けていきたいと思う。