先日、10年以上前にお花の市場で一緒に働いていた美人友人と再会しました。
40代だけど森高千里似の美人で、そして性格がサバサバしてて、面白くて、
一緒にて楽しいし、元気をもらえる自慢の友人です。
もともとの顔の造りが絶対的に美しいのですが、
きちんとお化粧してて、髪の毛もきちんとブロウしていて、
さらに彼女の美しさが引き立っている。
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それにしても、なぜ美人ほどキレイにしてるんだろう。。でも、そう思いません?
元の造りが美人な人ほど、ネイルや化粧、髪型や洋服、所作までキレイにしてる。
キレイにしているからキレイになるというより、
キレイだ、美人だと言われて、見られることを意識しているから、
モチベーションも上がるだろうし、
土台が美しいから、美しくしがいもあるだろうよと、ブスはひねくれる。
どうせ私なんか誰からも美の対象として見られないし、
っていうか、美の対象として見られたらブスだから困るし。
土台がブスだから、どんなにがんばっても、むしろ痛いよね!
・・
ブスが美しくなろうと行動するのは、危険な行為だ。
なぜなら、美しくなろうとする行為は、
「美しい」というものの価値を認める行為でもあるからで、
自分を美しいと思えないブスには、わざわざ自分を惨めにさせるような行為だから。
ブスは「美しい」というものさしで測られると困るから、
なるべくその価値を認めないようにしないといけない。
だから、なるべくそこから遠ざかろうとして、故意に美しいものを避ける。
自分をキレイにしたり、着飾ることも同じように避ける。
「おしゃれしていないからキレイじゃなくてもしょうがない」と言い訳ができる。
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そんな美しい彼女に、10年前の櫻田はこう言ったらしい。
美はちょっとしたことの積み重ねだよね。
ちょっとそこまで出かけるのもマメにキレイにする人を、
皆美人と呼ぶのだと思う。
その言葉がとても印象に残ったそうで、
彼女はバス停までの娘のお見送りでも、ちゃんとキレイにして出かけるそうだ。
えーーーーーーーーーーっ!
そんな偉そうなこと言ったのーーーーーーっ!!
言った本人、超忘れてるし、キレイになってないけどーーーーーっ(笑)
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まずは、自分は美人だ、もっと美人になる価値がある、
そう意識下に刷り込むことから始めたほうが良さそうだ。
あ、でも、この美人ブログの効果は出てますよ。
ブスだという自己認識はあまり変わらないけれど(笑)、
あきらめないぞ!どうにかできないか!?
っていう気持ちがムクムク沸いて来ています。
でもほんと、根本的に自分はブスと思っているところは、
どうにか直さないといけませんね。。。
もう、心の傷としてすり込まれてますからね。。
いや、なんか、醜形恐怖的な卑屈さと、それを言い訳にする怠慢さは直さないと。
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ありあとう森高千里似の友達!