今日の櫻田

毛皮アンケート集計と櫻田が思うことなど

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毛皮の記事に関して、沢山のコメントと投票をありがとうございました!
早速ですが、現時点でのアンケート集計結果をご報告しつつ、
櫻田の思っていることもお伝えしたいと思います。

毛皮・リアルファーアイテムを持っていますか?
https://imasarabijin.com/blog-entry-258.html

(事の発端はこの記事に頂いたコメントです)
KARL DONOGHUEのファースヌードを衝動買いしそうになった
https://imasarabijin.com/blog-entry-257.html

■ アンケート結果

98票(2013年10月14日現在)も頂きました!
「Q.毛皮製品を持っていますか?」
kegawaresult1.jpg

■ アンケートへのコメント(2013年10月14日現在)

・持っている(特に何も考えていない)
 大切に使うべき、とは思う。
 だからと言って反対の人も否定しない。
 何も考えていず、ショックでした。毛皮はNGで!
 母が娘の頃の着物用のファーです。
 人間のためなら動物は犠牲になっても仕方ないと思う

・持っている(けど実はちょっと気にしている)

 人間は罪深い。自分自身が嫌になる。
 大切にしています。末永く身に着けたいので
 考えるときりがないので…
 本物は断然暖かい。肉食同様、感謝の一言。
 動画を見てこれはいけないことだと思いました。
 感謝と共に気分良く着たいのであえて現時点では見ない

・持っていない(毛皮は反対なので持っていない)
 反対というかちょっとこわいと思うようになった…
 リアルファーで充分
 自分のペットを連想してしまうから
 反対というより、触れないです。気持ち悪くて・・・
 動物に多大な苦痛をあたえるので…
 反対派。毛皮の事実を知って一切持たなくなりました。

・持っていない(単に持っていない・興味がない)
 ダウンコートに着いている程度
 見た目がダサいと思ってしまう。
 毛皮は飽きそう

■ 記事に頂いたコメント

また、記事に頂いたコメントも大変勉強になりました。

> 結局「正しい」とは何なのか

あぁ、そうなんですよね、そこに行きついて、そしてそれは結論が出ない。。。
バシッと的確に一言で言って頂いて、自分のなかのあやふやな部分がまとまりました。

> 正論を掲げるほど矛盾の扉が開き、本質から遠ざかる気がします。

あぁ、なんてドラマティックで、そして素晴らしく的確な表現!物書きの方ですか?
そう、そうなんですよ・・・物凄くうんうん頷きながら読ませて頂きました。

いろんな方がいろんな観点から、的確な、そして素直な言葉を寄せて下さって、
本当に良い刺激に、勉強になりました。

さらに、いくつか抜粋させて頂きます。

> 理想を求め続けるのか、理想と現実に折り合いを付けるのか。
> 人間の存在自体が悪なのか?
> 人それぞれの考えだし、犯罪認定されてはいない訳ですから、押し付けるものでもないとも思いますし。
> 他人に口を出すっていうことは大きな責任が伴うと思うのです。
> 人間は生きているだけで罪深い
> ファーについてはもう二度と購入しない!
> この類の問題は深く考え出すと袋小路でぐるぐるして出てこられない感覚になる
> だからといって、人がしているのを見て、どぉこぉ思うこともないです
> 他人に対して強制すべき事ではない
> よく知らないだけで、身の周りにあるものの中には、製造工程を見ると目を背けたくなるようなものが結構あるのではないでしょうか。

うんうん、あーそうかも、いや、うーん、どうなんだろう、、、
沢山考えさせられつつも、最後に、

> うーん。わからなくなってくる。

というコメントに激しく同意したり。

■ 櫻田が毛皮問題で思うこと

櫻田も思うことを言っておかねば、余りにも他人任せで無責任だな、
と思いましたので、素直に思うところを。

櫻田は毛皮反対ではありません。
そして、毛皮反対と言う方々に、違和感を感じているのも事実です。
その論拠が矛盾してしまうことがある、という点で。

でも、あなたの考える正しいは、あなたにとって正しいことは事実。
正しく生きて行こうと、知って、考えて、実行するのは素晴らしいと思います。

なんかよく分からないけど、都合悪いから見ないことにしておこう・・とか、
情報をシャットアウトして、思考停止に陥るのではない、という点で。
(このブログにコメント下さった方は、その時点で思考停止していない方だと思います)

ただ、毛皮反対と主張される方の中には、むしろ思考停止に陥っている方もいて、
自分の拠り所とする思想が、絶対的なものではないことから目を背け、
反対することでカタルシスや利益を得ている方もいると思います。

自分の中の結論がどっちであろうと、思考停止だけには陥ってはいけないんだ、
と櫻田は思います。

毛皮を買ってはいけない理由は、今のところどれも櫻田を納得させないから、
毛皮や皮製品、シルク、ダウン・・・櫻田はこれからも「カワイイ!キレイ!」
という、他のファッションアイテムと同じ判断基準で買います。

暖かいからとか、機能的だからとか、という判断基準は、言い訳かなと自分は思います。
ブランド品を買うのに「一生モノだから、素材がいいから」と言っているのに似ていて。
それは事実だけれど、本当の理由ではない。

「自分がカッコ良く見える、ステイタスが得られる、雑誌の憧れのモデルが着けてる」

から買うのだと自分は思います。
まあ、フェイクは、静電気がウザかったり、防寒効果が少なかったり、
すぐヘタれたりするのも事実なんですが。。うーん、ダウンは、機能重視だけど。。。

犠牲になった動物に感謝して・・本当に自分はしているだろうか?
何がどう犠牲になったのか、十分知り得ない中で、感謝って?されて嬉しいの?
何でダウンじゃなくて綿やウールで我慢してくれないの?
大して寒くないよ日本は、って水鳥なら思うな。
だからそれすら自己満足に思えて来て、それもなんだか櫻田にとっては正解ではない。

いいなと思うものを買って、大切にして行きたい。他のお買い物と一緒です。

櫻田の毛皮以外のお買い物で犠牲になっている、生き物や自然、さらには「人」は、
それこそ、全く知り得ない程広範囲に渡っているから、一緒です。
見た目の残酷さや目的で、業の深さは一概に判断できないものと思います。

でも、分かるところから始めようというのも、正しさだと思うし、
全部分からないから、一つもやらない、というのは、一つの思考停止だとも思う。
ほら、櫻田の中も矛盾でいっぱい。

誰の答えにも矛盾があるのなら、
自分の正しさは、自分が引いた線のなかでの正義に過ぎない、
それを知った上で、正しさを貫けばいい、そう思います。

> 言われて考えるよりももっと深いところで既に判断がくだっているように思う

というご指摘は、とても考え深かったです。

生理的な、感覚的な判断であり、それは、
個人の生き様とか、生い立ち的なバックグラウンドが浮き彫りになるな、と思えるし、
いや、所属するコミュニティの思考のフレームワークに支配されているという、
構造主義的?な考え方が必要だよな、毛皮問題には、と思ったりしました。

■ 樹里さんからのお返事

さて、コメント欄でくるみさんから頂いた樹里さんへの質問に対して、
樹里さんからお返事を頂いたので掲載させて頂きます。
(長過ぎてコメント欄には入らなくて、櫻田の提案でこうさせて頂きました)

樹里さんは「ここは皆が思うことを書く場所」であって、
誰が正しいか決める「議論の場」ではないというのにも賛同して下さっていて、
櫻田としても、これ以上の樹里さんからの返信はないという方向で、
掲載させて頂いただきたいと思います。

誰にとっても正しい答えなんてないけれど、
自分にとっての正しいを明確にして、実行する樹里さんは素晴らしいと思います。

ダウンについて、樹里さんの意見をお聞きしたいです。(くるみさんより)
https://imasarabijin.com/blog-entry-258.html#comment1145

くるみさん、お待たせいたしました。
何からどう書こうかと迷いましたが、最初に私の実行している行動指針を書こうと思います。
その後に、「なぜそう決めたのか」を。
この場所は「私こうです」というものを、共感ではなく共有する場だと思いますし、
聞いてもくるみさんの役に立つかはわからなくて心苦しいのですが・・・。
意見を求められることは素直に嬉しいので、まずは書きますね。

【私の行動指針】なんだか会社みたい(笑)

1:自分が動物の命を手に入れたいと思った時、その理由の割合を分析する。
「ファッション」と「機能(栄養、防寒、耐性、使い勝手、アトピーケア、価格等々)」で、
ファッション>機能だった場合は買わず、避けられるものは避けていく。
2:知っている人には「ちょっと待って」と言う。
不特定多数や日本中世界中には叫ばない。
3:生きていく上でいただいたすべての命に感謝し、その感謝は自分の体で払う。

【行動指針にいきついた経緯】

1:避けられるものは避ける
まず、毛皮に限らず、くるみさんの言われたダウンや皮革なども含め、
動物で作られる生地の残酷な製造方法を知りました。
私は幼いころから、犬、猫、ウサギ、ハムスター、カメ、金魚など
色々な動物を飼ってきて、今も2匹の猫と暮らしています。
小学校6年間の間では「生き物がかり」率が異様に高かった、生来の動物好きなんだと思います。
だからそれは本当にショックで、目を背けたくなるものでした。
某国の動画ではそこらにいる犬や猫を、飼われているコや野良問わず捕獲して毛皮をとり、
ラビットだのなんだのと偽って売っている光景があり・・・。
食用でも、ネズミの肉を牛だなんだと言って売っている国です。
こんなことをするくらいだから、いくらファーを使うブランドが
「うちのは食用肉をとった後の毛皮です」「うちのは自然死した動物です」と思っていても、
そのブランド自体騙されているかもしれないと思いました。

うちの猫の1匹は長毛種が混ざっているので、それはそれは柔らかくてなめらかでフワフワした毛。
その素晴らしい触り心地はきっと、なんだかの毛皮と言われてもわからないでしょう。
うちのコが、頭を何度も殴られて失神させられて、そのままズルリと毛皮を剥かれ、
意識を取り戻し、血がしたたり生ハムかのような赤みを帯びたむきだしの肉になってピクピクと痙攣し苦しむ・・・。
そしてその毛皮が、「きゃ~、可愛い~」と言われて誰かの首に巻かれる・・・。
想像したら、その想像に耐えられなくなりました。

私は人から「本当に服が好きですよね」「いつも違う服を着てますよね」と言われるくらい、
ファッションが大好きで、アパレルの仕事をしていた頃もあります。
でもその想像をした時、「所詮ファッションだ」と思いました。
ファッションを嫌いになったわけではありません。
所詮見てくれであるファッションに翻弄されたくはないと思ったのです。

そこで決めたのが「欲しい理由の分析ルール」。
物が欲しいと思う時の理由はひとつではありません。
例えばパンツなら、「これ可愛いし、ストレッチが動きやすそうだし、
着回し考えたら値段もお得だし」とか思って買いますよね。
この気持ちをファッションと機能に分けて、「可愛い6:動きやすい2:安い2」としたら、
ファッション6>機能4となります。
私にとって毛皮製品を買う理由は思いっきり、ファッション>機能でした。
だから、毛皮はなくてもいい避けられるもの、むしろ皮革などと比べると使われている製品が限られているので、
1番避けやすいものという自分の中の位置づけになりました。
そしてこれはもしかしたら反論をいただくかもしれませんが、あくまで私の感じる限りで・・・
日本で毛皮製品を買う方も大部分、ファッション>機能ではないのかなと。

このルールをダウンにも、皮革にも、食材にもあてはめて購入を決めています。
だから、一切合切殺生をしないわけではないのです。
ちなみに私はダウンは持っていません。
お布団は、肌布団くらいに薄くて軽いのに真冬でも驚くほど暖かい、遠赤綿と磁気で作られたものを使っています。
仕事で関わった会社の製品で、こういう問題を知る前に手に入れました。
お値段はシングル掛布団で7万円とまったく可愛くないのですが、すごく気に入っているので私は再購入すると思います。
高価な物なのでくるみさんにおすすめはしません、あくまで私の話です。
ですが、このルールをくるみさんの羽布団に当てはめると、ファッション<機能になるのでは?と思いました。

農薬や食品添加物は体に良くないから、できるだけ避けたい。
これって、多くの人が知ってるし思ってることでしょう。
でも、疲れて帰宅する日や時間がない時のコンビニやインスタントやファーストフードはやっぱり助かるし、
食材も調味料もあらゆるものにそれが使われてるから、全部避けるのは難しいし、避けようとしたらお金もすごくかかる。
だからって毎日コンビニはやめて、できるだけ自炊していこう。
避けられるものは避けるって、私の中ではそういう感覚です。

2:知っている人には「ちょっと待って」と言う。
先日もここで書いたように、私は運動家ではないので、声を張り上げてあらゆる人に叫ぶことはしません。
でも、自分が知っている人がそれを買おうとした時は、「ちょっと待って、これの製造方法知ってる?やめとこうよ」と言います。
男女問わず、自分が好感を持っている人ほどなおさらに。
皮革などは使われすぎて避けることが難しいので言いませんが、私が1番避けやすいと思っている毛皮ならまず言います。
だって、「この前あなたの彼氏の悪い話聞いたんだけど・・・結婚考え直した方がいいと思う」とか、
「今日のランチはあなたが食べたい中華じゃなくてイタリアンがいい」とか、
こずえさんの「今日の装い」で「そのパンツはヒップラインが合ってないからやめた方がいい」とか言いますから。
毛皮の話だけしない方がなんだか不自然。
強制できないことはもちろん承知しています。
どんなに悪い彼氏とわかっていても結婚する人はするでしょうし、
やっぱり中華が良くて別々にランチに行くこともあるでしょうし、
何を言われてもそのパンツを買う人もいるでしょう。
でも、知っている人や好感を持っている人に言わない方が薄情だと思うから、私は言います。
その後そうするかはその人次第。

3:いただいたすべての命への感謝は自分の体で払う。
衣類や食材や色々なものに、色んな命をいただいて私は生きています。
毛皮製品は買わないようにしていますが、それを決める以前に購入したものはやはりあります。
そういうものは、感謝をしながら大事に使います。
残酷さを知ったからこそ、安易に捨てられないと思うのです。
料理を残したり、食材を無駄にすることもほとんどありません。
ありがたくいただきます。

今の私はそれなりに都心に住んでいますが、出身は田舎です。
実家から歩ける場所に父方の本家があり、私の幼いころ、そこでは鶏を飼っていました。
私は今33歳、田舎は田舎ですが、鶏を飼っている家は当時でも他には聞いたことがないくらいには発展している土地。
生来の動物好きな私はもちろん可愛がりました。
しかし、私が4~5歳くらいのころ、その鶏は親族の手によって潰されました。
泣きじゃくる私の目の前で。
そしてその日の夕食、大好きなからあげが食卓に並び、
大好きなからあげはあの可愛いがっていた鶏であることを、まざまざと知ったのです。
私の人生の中ですさまじく衝撃的だったこととして、今でも忘れることができません。
「豚のPちゃんと32人の小学生―命の授業900日」という本や、
それ以前に放送されたドキュメンタリー、映画が話題になりましたが、それさながらのできごとです。
あの時、私が食べるものは命なんだと子ども心に深く刻まれました。
こうして思い返すと今でも涙が出ますが、今でもからあげは大好きです。
心から感謝して、ありがたくいただきます。

唐突に聞こえる話かもしれません・・・。
「人間死んだら土に還る」と言いますが、実は日本人の多くが土に還ってはいないみたいなんです。
火で焼かれて、骨壺に入れらて、雨風から守られたお墓や納骨堂に入るのがほとんど。
残った灰は、処理業者によって異なるようですが、他の方とまとめられてお地蔵さんになったり、
一般ゴミになったり、専用の埋葬地に埋葬されたり、他にも様々でこれも土に還るとは言いがたいようです。

これを知った時、色んな命を食べてきた人間は食べられないなんて、なんだか傲慢だなと感じました。
そしてこれを言うとものすごく変人のように思われるかもしれないけど、「私も食べられたいな」と思うのです。
別に、特定の宗教も信仰していませんし、ロハスかぶれなわけでもないです(汗)
私のファッションやメイクや見た目はきっと派手で、お酒が大好きなので、
夜ごと飲み歩いているようなイメージで見られています。
タバコも吸います。
流石に「私の命はライオンさんに差し上げる」なんて思いませんし、普通に寿命まで人生をまっとうします。
ただそうやって寿命で死んだ後、いや、交通事故とかで明日にも死ぬかもしれないんですけど。
その体は他の生物にあげたいなとか思うんです。
とりあえず臓器は必要としている方に差し上げて、残った体は例えば土の中でバクテリアとかに分解されて、
それを植物が吸収して、植物を草食の動物が食べて、草食動物を肉食動物が食べて。
そんな風に色々な生物に食べられることが1番自然な命のリレーで、
感謝の恩返しで、「土に還る」ということのような気がしちゃうんです。
今の人間界ではまったく自然じゃないというか、変人扱いというのはよくわかってるんですけどね。
どうにかして、あんまり大げさに変人扱いされないやり方で、それができないかなぁと思っています。

すさまじく長くなりすぎましたが、これが私の思うこと、です。
くるみさんが答えを出す、ほんの少しの参考にでもなれば幸いです。

樹里さん、ありがとうございました!

今回もお返事は基本的に控えさせて頂きますが、
思うところがあれば、コメント頂ければ嬉しいです。
この記事を読んで下さってありがとうございました。

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